鎌倉検定 勉強しよ 11回の7 鎌倉五名水
旧跡と文化財の複合技が来た。鎌倉五名水と絵図の関係となりますが興味がないと
厳しいジャンルです。
1709年(宝永6)建長寺境内絵図に描かれたものは?
四択は以下の通りです。
①金龍水
②不老水
③日蓮乞水(にちれんこいみず)
④梶原太刀洗水
五名水のうち、4か所出てますから『なんだかな』ですね。
解答と説明を並べていきます。
①金龍水:建長寺門前にあったけど道路の拡張工事で埋められてます。今は位置が
示されているのみ。徳川光圀の鎌倉日記に出てくる。
建長寺境内絵図に描かれる!!
ここが正解
②不老水:建長寺境内で鎌倉学園の運動場にあったが埋められた。辺りにいた仙人が
飲んでた。
③日蓮乞水:長勝寺まえから旧名越切通の途中
1253 日蓮が安房から名越を通って鎌倉に入るときに水を求め地面を杖
で突き刺したら水が湧き出た。
④梶原太刀洗水:朝夷奈切通の太刀洗川に沿った岩肌から湧く水
1183 梶原景時は上総介広常を頼朝の命にて打った太刀をここで
洗った。
四択外
銭洗水:佐助の銭洗弁財天宇賀福神社の清水
頼朝の夢のお告げで発見した。
北条時頼が金銭を清めて不浄塵垢が消え福銭になる。
太刀洗水:看板があったかな?去年の夏はなかったような?
朝夷奈切通がしばらく通行止めだったからね。
既に見ることができないところもありますね。
小ネタ
銭洗弁天の御朱印は土日だと混んでいるから、できてるものをいただくモノだったと記憶しているがはやり病でいまはどうかな? 平日に行ってみたいです。
でわ
鎌倉検定 勉強しよ。11回の6 鎌倉十井
鎌倉十井の問いが来た。
井戸の向かい側にあった観音堂に安置された観音像の頭部は東京人形町の大観音寺に移され本尊になっている。その井戸とはどこか?
以下の四択からの選択となります。
①扇の井
②泉の井
③星の井
④鉄の井
テキストによると
①扇の井:浄光明寺から薬王寺のあいだにあり非公開
④鉄の井:小町通北端 井戸を掘ったところ、鉄製の観音様の頭部が出てきた。
ということで『鉄の井』が正解。
他の井は以下の通りです。
・甘露の井:浄智寺の総門横 不老不死の効能が
・底脱けの井:扇が谷海蔵寺の門前 水を汲むと桶の底板が抜ける話
室町時代の上杉家の女
『賤の女(しずのめ)がいただく桶の底脱けてひた身にかかる
有明の月』
鎌倉中期 安達泰盛の娘
『千代能がいただく桶の底抜けて水たまらねば月もやどらじ』
・銚子の井:長勝寺門前 井戸の形が銚子に似ている。井戸の蓋や側面が石造り
なので石の井とも
・瓶の井:つるべのい です。明月院境内にあり現在使用可。2個の瓶を並べて使用す
るのが由来と。
・棟立の井:覚園寺の薬師堂の背後の山際にあり、弘法大師が滞在したときに井戸を
掘り閼伽水を汲んだ。
・六角の井:材木座から小坪に抜ける海際にあり。別名 矢の根の井
源為朝伝説あり。1156年保元の乱に敗れた源為朝は伊豆大島に流された。
自分の弓の力を試してみようと光明寺の裏山天照山目掛けて矢を放った
ところ、この井戸に落ちた。
井戸は八角だが鎌倉六角、小坪側に二角なので六角の井と云われる。
全部行ったことはないですが観光のひとがあんまり行かないところだと案内があるだけかも知れません。鎌倉歩きには良いですよ。
でわ。
畠山氏 討たれる。初代執権は結構欲深?
ついに畠山氏が謀反の疑いをかけられて討たれてしまった。ついつい大河ドラマを見入ってしまったがドロドロの鎌倉時代を再認識した思いだ。
一地方の一家が時代の流れに乗って権力者となってしまったところで後には引けぬから行くところまで行かなきゃならんのよ!と執権にまでなっちまったが征夷代将軍にはなれないから、せめてなあ~おい!となったのかはわからんよね。
ここは八幡宮の東の鳥居のすぐのところにあるのが畠山重忠邸跡の石碑です。立地的には一等地ですね。角地だし、いうことなしですよ。
石碑はほぼ大正か昭和の初めの頃のものが多いのかな何とか読めるほうだと思います。
八幡宮の参拝後の鎌倉宮とか絵柄天神の行こうとするとここは道順の通りなので目に入ると思います。たま~にタクシーとかが通行するし、人力車も来ますので写真撮影は気を付けてください。
ここに武士のかがみと言われた誉れ高い人物が住んでたってのがわかるのが良い感じですね。
八幡宮から由比ヶ浜に向かって行き、一の鳥居の付近の右側にあります畠山重忠の息子、畠山重保邸跡の石碑です。武蔵国二俣川にて闘死スとあります。横浜市旭区あたりは相模ではなく武蔵なんですね。
時の執権、北条時政に割に合わない扱いを受けています。これも鎌倉なんですね。
殺伐とした時代を生き抜けないとやられてしまうのよ。
機会があれば二俣川あたりも散歩してみよう。
横須賀美術館より観音崎まで 歩く。バスのる。
美術館から出てきて、すでにお昼となってしまったがノンビリとランチなんて訳もなく正面に見える観音崎の灯台を見つつ歩き始めるです。入館までの行列が意外と時間が掛かってしまい、どうしたものかと思案してみると、たたら浜にいくか、バスを乗り継いで久里浜に行くか、バスで堀之内に行って京急に乗って三浦海岸に向かうか・・・
なんだかとダラダラと歩いてついてしまった。
結構人がいてBBQやってたりする。9月のはじめだと夏モードの風景だな。
結局ここから堀之内に向かうことになる。終点まで座っていけば良いのです。
終点で降りるとなんか変? そうです終点は堀之内であり堀之内駅ではなかった。
まあ、ちょいと歩いたら駅でしたけど、初めての場所はいろいろあるので面白いといえば面白い。周遊券を使って三浦海岸駅まで行ってみます。
運慶 鎌倉幕府と三浦一族展 横須賀美術館
期間中の終わりに近づいたころに気が付いたのが横須賀美術館でやってる『運慶 鎌倉幕府と三浦一族展』であります。
横浜からの行き方は公共機関での手段は京急線と京急バスのみなので、こういう場合に力を発揮するのは三浦半島1DAYきっぷ一択となる。ホントに便利で楽に元が取れてしまうお得な周遊券ですよ。
横須賀美術館までのルートはいくつかあるが今回は写真の通り馬堀海岸駅からのバスで観音崎を目指して行くと美術館の間近のバス停で降りれば良いです。
バス停から少し歩くのですがすでに結構ひとが一緒になって歩き始めるのです。この時点で開場の時間だったかな。
既に並んでる状況ですね。やや驚いた。
順番待ちの時間に海を写す。台風が来てる頃ですが。
中を撮影することは出来ないのでここまでですね。
ちなみに出展に協力されたお寺の御朱印を見せると1000円が500円になる大特典つきでした。知ってる人がどれほどいたのかな?
不動明王は見ごたえありました。当然、すべて見て堪能しまくりとなりました。
この後、周遊券使っていろいろ観てまわることにします。
久々の鎌倉歩きをたくらむが
2022・8・12 金曜日であります。時間は朝の六時過ぎですが逗子行きが来るまであと15分待ちですので待ち人がほぼ居ませんね。
一応、平日ですが盆休みが始まっているのか、在宅の影響かな?
東京方面行の電車からは人が結構降りてくるようだが乗り換えなんでしょうか?
久々に鎌倉に行ってみようと思い立ち早朝出発しているわけだがここまでは日がさしていたのだよ。まさかこの後に土砂降りの雨が予定中止に追い込むとは想像も出来なかった。
6:16の逗子行きの横須賀線は空いていて普通に座ることができた。
大船あたりから空が暗くなってくるのに気が付いた。北鎌倉につく頃には本格的な雨である。完全に出鼻を挫かれた感がいっぱいあるので撤退を余儀なくされた。
天気予報では明日台風がこっち来るとは云っていたが本日こんな目に合うとは・・・仕切り直しを思い、ホームに立つのでした。
復旧の朝比奈切通を歩く・摩崖仏まで
昨年の終わり近くに復旧したという朝比奈切通の摩崖仏まで歩いてみました。挨拶がてらです。
ちゃんと案内は大丈夫ですね。さあここからです。
鎌倉殿とは言うもののここら辺も当時は鎌倉エリアですからね。横浜金沢もだまっちゃいられませんよ。
すぐに入口まではついてしまうのですがこの先はどのように復旧してるやらでマイペースで歩いてみます。
今回は摩崖仏が見れるところまで行ってから熊野神社に行きまして戻ります。昨年の夏に来たときは鎌倉側から入りましたが摩崖仏を超えてからも草がボーボーで通行止めで引き返したのでのこり半分を歩くわけですね。
土嚢で固まった道が生々しいです。フェンスやブルーシートやら、土木事務所の方々や業者の方々が苦労して開通まで至った様子が見られます。
これは帰りに撮ったものです。
これもまた帰りに撮ってますね。少し怖いものがあります。
なんとか到着ですね。この先が昨年夏はいけなかったのですがツワモノは行けたかもしれません。朝比奈切通の摩崖仏に挨拶してから戻ります。
右に行くと摩崖仏に会えます。ここの傾斜が結構きついのとフェンスが落石注意を物語るのですよ。ここを左を向くと熊野神社方面となります。
ここから先も木が道のわきに積んであったり、土砂の流れた跡かなと思われる個所が所々にありました。概ね安全でした。ありがたいですね。
奥まで行って参拝です。周りはきれいにされています。賽銭箱はありませんでした。そのわけはいたずらや泥棒が後を絶たないとのこと。この山中でやるか?なんだかなの気分になりました。
さてと環状4号線まで戻ります。
行きに通った石仏群ですね、無事帰還でまた来ますの挨拶で戻り路へ
次回は十二所まで行ってみよう。