鎌倉とりあえず歩くブログ

1961年生まれが鎌倉あたりを歩き回ってみたり、歴史を感じてみたりでいろいろと記事にしています。

復旧の朝比奈切通を歩く・摩崖仏まで

昨年の終わり近くに復旧したという朝比奈切通の摩崖仏まで歩いてみました。挨拶がてらです。

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朝比奈バス停

今回は金沢八景駅からバスに乗って切通入口まで来ました。

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朝比奈バス停からちょっと戻っての案内

ちゃんと案内は大丈夫ですね。さあここからです。

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のぼりがあります。大河の影響あり

鎌倉殿とは言うもののここら辺も当時は鎌倉エリアですからね。横浜金沢もだまっちゃいられませんよ。

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入口は無事です

すぐに入口まではついてしまうのですがこの先はどのように復旧してるやらでマイペースで歩いてみます。

今回は摩崖仏が見れるところまで行ってから熊野神社に行きまして戻ります。昨年の夏に来たときは鎌倉側から入りましたが摩崖仏を超えてからも草がボーボーで通行止めで引き返したのでのこり半分を歩くわけですね。

土嚢で固まった道が生々しいです。フェンスやブルーシートやら、土木事務所の方々や業者の方々が苦労して開通まで至った様子が見られます。

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見上げると

これは帰りに撮ったものです。

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やや怖い切通

これもまた帰りに撮ってますね。少し怖いものがあります。

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やっとこ来ました。摩崖仏

なんとか到着ですね。この先が昨年夏はいけなかったのですがツワモノは行けたかもしれません。朝比奈切通の摩崖仏に挨拶してから戻ります。

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熊野神社への分岐

右に行くと摩崖仏に会えます。ここの傾斜が結構きついのとフェンスが落石注意を物語るのですよ。ここを左を向くと熊野神社方面となります。

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さあ熊野神社

ここから先も木が道のわきに積んであったり、土砂の流れた跡かなと思われる個所が所々にありました。概ね安全でした。ありがたいですね。

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参拝です。

奥まで行って参拝です。周りはきれいにされています。賽銭箱はありませんでした。そのわけはいたずらや泥棒が後を絶たないとのこと。この山中でやるか?なんだかなの気分になりました。

さてと環状4号線まで戻ります。

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石仏群

行きに通った石仏群ですね、無事帰還でまた来ますの挨拶で戻り路へ

次回は十二所まで行ってみよう。

鎌倉検定 やってみる 5

5問目です。
西御門の八雲神社付近にあった太平寺室町時代初期の中興した住持は誰?

とありますね。創建でもなく破壊したわけでもなく中興です。四択です。

回答:清渓尼  となります。
   鎌倉尼五山にした。

他の候補は

妙法尼・相模出身の女 1282年頃太平寺に釈迦如来像を祀る

池禅尼平忠盛(正)清盛の継母 頼朝の助命嘆願した方

青岳尼・足利義明の嫁 1556年住職だったが里見が攻めてきたときに
    安房に行った。

なかなか難しいですね。

三浦一族本拠地衣笠を歩く  近殿神社の祭神は 三浦義村

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近殿神社 ちかたじんじゃです

これも講座に参加した時のものです。
ここは横須賀市の大矢部にある近殿神社です。祭神はなんと鎌倉殿の13人で山本耕史さん演じる三浦義村なのです。大矢部村の総鎮守は浅間神社でしたが紀州藩家老三浦長門守によって近殿神社にかえられたようですね。

三浦義村は一族の勢力最大にしたできる男。

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三浦一族の実力の説明

桓武平氏の流れを汲む三浦一族の実力が書かれています。ここら辺いったではブイブイと云っていたことでしょう。さらにここから各地に拡がっていったのだね。ゾクゾクとしますね。

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きむらごののぼり

 

今年の横須賀は鎌倉殿の13人の三浦一族のゆかりの地で盛り上げたいところですね。こののぼりは各所で見ました。
きむらごと呼ばれる黄・紫・紅 の組み合わせは三浦一族の陣幕に使用されていたそうです。洗練された色合いです。カッコイイ。

きむらごについては面白そうなので調べてみたいぞ。

でわ

三浦一族の本拠地衣笠歩く 三浦大介義明廟所 満昌寺

今回は三浦一族研究会の講座に参加したので写真や動画を撮ってみたのでそのままの
記事になります。回った順番でいうと最後になりますが楽しみにしていた(講座全部が楽しみですが)満昌寺での三浦大介義明廟所にいってきました。

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義明山満昌寺 の鎮守である御霊神社

ついに来ました。梅もこれからって感じですね。鳥居をくぐって中に進むと宝物殿と三浦大介の廟所があります。

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階段のわきにはお出迎え?

階段を登ってます。長い階段ではありません。

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本堂です。宝物殿ではありませんあしからず。

宝物殿の中は撮影禁止ですので肉眼でしっかりと三浦義明座像(国重文)を捉えて頭に焼き付けておきたいと思いましたが随分と気骨の塊のような老武将に𠮟られそうな気分になりました。

さて、裏にまわりますと廟所です。

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市重文です。

真ん中が三浦義明で右が奥様だそうです。寄ってみると

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時代を感じる石にしっかりと三つ引き

想像していたよりきれいに感じるもんです。

しっかりと見ることができました。大河ドラマゆかりの地ではありますので大満足。
これは最初に書いた通り、三浦一族研究会の『三浦一族の本拠地衣笠を歩く』と云う入門講座に参加しての一部分からの記事になります。
この日の回った場所はそれぞれ記事や動画にしていきます。

でわでわ

鎌倉検定  やってみる  4

2級です

源頼朝が雪の下の大御堂に勝長寿院を創建したのは何のため?4択
回答:父の供養のため

1185年創建  奈良から仏師成朝を招いて黄金の阿弥陀像を造らせ安置。
文覚が持ってきた義朝の首を頼朝が埋葬している。?

他の選択肢
・元との戦いの戦死者の菩提を弔うため
 →これは北条時宗が建立した円覚寺。開山は無学祖元
奥州藤原氏や弟の鎮魂、慰霊のため
 →永福寺になります。二階堂にあったのですがいまは跡のみ
・妻の母の供養のため
 →これはわかりません。勉強不足かな?

円覚寺は現存して見ごたえ十分、歩きごたえもあります。

鎌倉検定 やってみる  3

2級です。

落城後に本多正信松平正綱が入って、一時城下の村々が預かり地となったのは
どこの城?  4択

 

正解:玉縄城
   1512年北条早雲が築城
   1561年上杉謙信攻撃
   1590年秀吉に攻められ降伏 1615年まで本多氏、水野氏
   1619年廃城

   この辺から松平氏がくる。陣屋作って藩も出来たが1703年上総大多喜藩
   移動で廃藩となる。

選択肢:住吉城 山崎城 杉本城

    山崎城がどこだかわからないです。
    杉本城は杉本寺の裏山あたりかな。南北朝のころに落ちたらしい
    住吉城は小坪あたり?逗子マリーナあたりの裏の山で北条早雲
    三浦同寸の絡みの時代らしいがいまはマンションになっております。

 

 

 

鎌倉検定 やってみる 2

第2問  これ2級ですけど

3代執権北条泰時のころの鎌倉の四境のうち西の境はどこか? 4択

回答:稲村ケ崎

ちなみに 東:六浦    南:小坪  北:山ノ内 八幡宮の北

他の選択肢

常盤:大仏切通の北。北条氏常盤邸があった。

小動岬:小動神社(こゆるぎじんじゃ)があります。腰越の鎮守。新田義貞の戦勝祈願。

長谷:長谷寺があります。

いずれも境ではありません。

目印をどこかに決めておきたいもんです。