ついに畠山氏が謀反の疑いをかけられて討たれてしまった。ついつい大河ドラマを見入ってしまったがドロドロの鎌倉時代を再認識した思いだ。
一地方の一家が時代の流れに乗って権力者となってしまったところで後には引けぬから行くところまで行かなきゃならんのよ!と執権にまでなっちまったが征夷代将軍にはなれないから、せめてなあ~おい!となったのかはわからんよね。
ここは八幡宮の東の鳥居のすぐのところにあるのが畠山重忠邸跡の石碑です。立地的には一等地ですね。角地だし、いうことなしですよ。
石碑はほぼ大正か昭和の初めの頃のものが多いのかな何とか読めるほうだと思います。
八幡宮の参拝後の鎌倉宮とか絵柄天神の行こうとするとここは道順の通りなので目に入ると思います。たま~にタクシーとかが通行するし、人力車も来ますので写真撮影は気を付けてください。
ここに武士のかがみと言われた誉れ高い人物が住んでたってのがわかるのが良い感じですね。
八幡宮から由比ヶ浜に向かって行き、一の鳥居の付近の右側にあります畠山重忠の息子、畠山重保邸跡の石碑です。武蔵国二俣川にて闘死スとあります。横浜市旭区あたりは相模ではなく武蔵なんですね。
時の執権、北条時政に割に合わない扱いを受けています。これも鎌倉なんですね。
殺伐とした時代を生き抜けないとやられてしまうのよ。
機会があれば二俣川あたりも散歩してみよう。